Ronjin Kuroji Darumaと昔話

皆さんこんにちは。

3月初旬から中旬に販売予定です。同時にネットショップでも販売しますので、よろしくお願い致します。

今回販売の第一弾は、数に限りがありますのでご了承下さい。

ご予約いただいている方々は、納品の時期が分かり次第お知らせいたしますので、もう暫くお待ちください。

その後、第二弾の販売時期は未定ですが、常時販売していけたらと考えています。

Ronjin Kuroji Daruma。

以前にもお話ししましたが、この達磨はRonjinに通ってくれている、kちゃんの希望から、Ronjinがデザインやサイズなどを考えて誕生した達磨です。

その後、Ronjin的に好みの顔を描いている職人さん探しをして、その職人さんに、体全体のマッドブラックの色から、顔面を真っ白に作る所まで、Ronjinの考えたデザインを伝えて、全て手描きで仕上げてもらった、こだわりの達磨です。

黒い達磨は黒字になると言われていますので、植物と共にお部屋に飾るには、縁起も良いと思います。

今日は私の昔話をしていきたいと思います。

現在は足場専門の会社を営んでおりますが、私は17歳の頃には鉄骨鳶をやっていました。まぁ〜何にも知らないペーペーってヤツです。

あの頃は、根性とか男らしいとか、人情などに憧れて職人になました。大きいトラックも運転出来る様になりたかったし、雨風の中でも無敵と言える働きが出来る様になりたかったんですw。

高い所は嫌いだし、朝早起きするのも苦手なオレですが、きっとw色々な意味で強くなりたかったんですよw。

若い時の私はそんなもんでしたw

今では、色々な知識が飛び交うので、そんな事言ったいたら、バカ扱いされちゃうかなぁ〜w。

まぁ〜、そう言いつつも私は今でも大切な事だと思っていますけどね。

私の17歳話に戻ります。

私はS組という会社に所属していましたが、K組さん(以後敬称は省きます)という会社に下請けとして、お手伝いに行く事になりました。

その現場には、凄い仕事のできる面子が。。私からしたら大先輩であり、憧れる方達ではありますが、怖くもあります。

当時私はペーペーすぎて、K組の親方(社長)とは会話すらした事はありません。毎日が緊張です。

当然、現場では怖い先輩に怒られるし、まだ力もなくてヘタレよばわりされます。

それでも、そんな先輩達に認められたい、そんな一心で仕事をする毎日が好きでした。

そんなある日、事件が起こります。

その日は、大きな鉄骨を地面で組んでから、クレーンで吊り上げ、組み立てる。という作業をしていました。

その日私は、いつもの材料運びではなく、地面で鉄骨を組み立てる役目をもらえて、張り切って作業していました。本当に嬉しかったんですよぉ〜。

なんせペーペーなんでw。組み立る役目をもらえて、そりゃ張り切ってました。

とても大きくて重たい鉄骨だったので、ボルトを差し込むのにも2人がかりで作業していました。

ボルトを差し込むまでは、私達は鉄の尖った工具を突き刺して、お互いの鉄骨が落ちない様に、穴を合わせながら、ボルトを差し込んで固定していきます。

落ちない様に、2人で尖った工具を差し込んでいたのですが、突然鉄骨がガクッとズレて、鉄骨の重さで相方の工具が抜けてしまいました。。。

鉄骨が2人の足の上に落ちる!!と思った私はフルパワーで工具を差し込み踏ん張りました。が、耐えられるわけもなく。

気が付けば。。私のつま先の上には。。鉄骨が。。ドドーンってw。

ここで怪我をしたら、役目を外されると思った私は、幸いにも地面が土だったので、その鉄骨から無理やり足を引き抜き、何食わぬ顔で作業を続けようとしました。がw。

「おぉ〜い!!お前!今!足に鉄骨が落ちただろっ!」って。心配してくれて駆け寄ってくる先輩が1番コワカッタwww。恐怖!

すぐさまバレて。足袋を脱がされましたw。

当たり前ですが。血だらけです。病院に連れて行かれ、レントゲンを撮ると、親指の関節が5箇所くらいに増えてましたwバキバキだw

その次の日には、K組の親方が高級車で、私を病院に送り迎えをしてくれたんです。。恐れ多いし、コワイしw、何よりも私のミスなのに恐縮だし。。

せっかく役目をいただいたのに。。ご迷惑をお掛けしてすみません。。。。心の中で20,000回程。。そう唱えました。。

次の日からも。と言ってくれたのですが、もちろん送迎はお断りして、自分のバイクで通うようにしました。

言葉少ない親方でしたが、こんなペーペーな私にまで、そしてK組の社員でもない下請けの会社の私を、本当に心配してくれた事に、当時の私は衝撃を受け、そんな面倒見の良い親方に憧れを感じました。←単純

もちろん私の親方も、おっかないけどw職人気質でカッコイイ方でしたよ!

若い頃、お金が必要でした。しかし、その前に「憧れ」というものに突き動かされ、自分の抱く憧れというものへ全力で向かっていたと思います。いつもお金は使っちゃうから無かったけどねw。給料日前には何故か無いパターンです👍

よく考えたら、歳はとったけど、憧れに向かう気持ちは、今でも変わらなぁ〜、と思いました。

数年後、私は別の会社に入り、K組とは疎遠になり、25年が経った去年の事です。

現在、私の会社の責任者を務めてくれているT氏が、K組と仕事でお付き合いをする、と言う話を持って来てくれました。

現在ではK組の親方は亡くなり、息子さんが責任者として立派にやられていました。

25年ぶりのお付き合いが始まり、数ヶ月が経ち、T氏がK組の息子さんに会う機会を作ってくれたので、私は息子さんに会いに行ってきました。

良い意味で、昔ながらの考えを持たれていて、久々に昔の事を思い出したりして、素晴らしい時間を過ごさせていただきました。

T氏も息子さんも、頑張って下積みをして、我慢も沢山してきた、頼れる次世代の人間です。

もちろん、私も引退しているわけではないので、他人事で言うつもりはありませんが、T氏は私が15年間仕事を教えてきた人材ですので、私よりも前に出て行動をしてくれる姿を見ると、本当に嬉しい気持ちになります。

25年前は私はただのペーペー。T氏の15年前はただのアホだったんですw。まぁー私達は、お互いにアホなので、憧れに向かって突き進む派www。だから気が合うのかなw。

一歩間違えたら、一生儲からない人生を送るタイプですw。でも、良いんです。昔から話し合って、お互いに覚悟してやってきました。

あの頃は、妻に作ってもらった夕飯を毎日、T氏と一緒に食べていました。そんな節約生活も本当に楽しかったなぁ〜。

儲かっても自分の生き方が出来ていなかった。と言う、そんな後悔だけはしたく無い気持ちで長年やって来ました。

人生には儲かる時もあるし、儲からない時だってありますので、儲かる儲からない、は別として、これまでT氏と納得する人生を歩いている、とそんな話を今でもする事が出来る事が、私とT氏にとっての正解です。

自分の人生の正解は世の中ではなく、自分の中にあり、お金ではどうにもならない事が沢山あります。

私は憧れからは忍耐を与えてもらい、一つずつやれる事を増やす事が出来ました。

私がペーペー時代にお世話になった、K組の親方から息子さんへ、15年前はアホだったT氏から、今では一つの会社をまとめ上げれる様になったT氏へ。

その様に時代は変わって来ました。

T氏の計らいにより、25年ぶりに「先代には大変お世話になりました」と伝える事が出来て、昨日は本当に嬉しい日でした。

T氏の粋な計らいに感謝ですね。

若い頃の私が先輩に憧れて動き出し、時代が移り行く中で、後から更に私を追いかけ、今ではその分野で私よりも活躍をする姿を見るのは、嬉しいものです。

時代の移り変わりって、なんだか良いな。そんな風に思った、今日この頃でした。

長々お付き合いをありがとうございました。

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